――「セロ活」という若者の流行から見えてくる、人間の原点回帰
著 河瀬昌良
はじめに――昔の当たり前が、今では新しい流行になった
最近、若者の間で「セロ活」という言葉が注目されているそうです。
セロ活とは、セロトニンという神経伝達物質を意識しながら、心身を整えたり、穏やかな時間を過ごしたりする活動のこと。
散歩をする。自然に触れる。本を読む。静かな時間を楽しむ。人とゆっくり語り合う。
これを知ったとき、私は思わず笑ってしまいました。
なんや、昔から普通にやっていたことやないか(笑)
ところが、調べていくうちに、この流行の背景には、現代社会の興味深い変化があることに気づきました。
人間は便利さを追求し、生活を豊かにするために技術を発展させてきました。
しかし、その便利さの先で、今度は便利さから離れる時間を求め始めているのです。
便利さを手に入れた人間が、失いつつある時間を取り戻そうとしている。
これは単なる健康ブームなのでしょうか。
それとも、人間の生き方が変わり始めている兆しなのでしょうか。
私は、この流れを非常に興味深く感じています。
第一章 若者たちは、なぜスマホに疲れ始めたのか
2026年3月、若者の消費動向などを調査するSHIBUYA109 lab.が、15歳から24歳の男女574人を対象とした調査結果を公表しました。
その結果、「スマホ疲れを感じている」と回答した人は62.2%。
さらに「SNSの利用時間を減らしたい」と回答した人は67.6%に達しています。
調査対象は首都圏の学生であり、日本の若者全体を示す数字ではありません。しかし、現代の若者が抱えている問題の一端が見えてきます。
スマートフォンは便利です。
知りたいことはすぐに調べられ、離れた人とも会話ができる。動画を楽しみ、買い物をし、仕事までできてしまう。
これほど便利な道具は、かつてありませんでした。
ところが、その便利な道具から離れたいと考える若者が少なくないのです。
なぜでしょうか。
SNSには、次から次へと新しい情報が流れてきます。
面白い動画を見れば、また次の動画が現れる。人の投稿を見れば、そこから別の情報へと関心が移っていく。
気がつけば、何十分、何時間という時間が過ぎている。
自分で選んで見ていたはずなのに、いつの間にか情報を追いかけ続けている。
そこには、一つの疑問が生まれます。
私たちは道具を使っているのでしょうか。それとも、道具に使われるようになってしまったのでしょうか。
便利さそのものが悪いわけではありません。
問題は、その便利さを自分の意思で制御できているのかということです。
第二章 刺激を求め続けた先に待っていたもの
現代社会では、常に新しいものが求められています。
新しい情報、新しい娯楽、新しい商品、新しい体験。
昨日話題になったものが、今日はもう忘れられていることさえあります。
こうした環境では、人の関心を引くために、より強い刺激や目新しさが求められやすくなります。
しかし、人間は一日中刺激を受け続けることを前提に生きているわけではありません。
何もしない時間。
ぼんやり空を眺める時間。
一つのことを考え続ける時間。
誰にも評価されず、何かの成果を求められることもない時間。
そうした時間も、私たちの暮らしには必要なのではないでしょうか。
ところが、現代では何もしないことにさえ、どこか落ち着かなさを感じる人がいます。
電車を待つ数分間にもスマホを取り出し、食事中にも画面を眺め、寝る直前まで情報を追いかけてしまう。
退屈を感じる暇さえなくなっているのかもしれません。
そして、刺激を受け続けることに疲れた人たちが、静かな時間を求め始めた。
その一つの表れが「セロ活」なのだと思います。
ただし、セロ活という名前から、特定の行動で脳内セロトニンが必ず増えると断定できるわけではありません。
セロトニンは気分などに関係する神経伝達物質ですが、流行語としてのセロ活と、医学的に確認された効果は分けて考える必要があります。
大切なのは名前よりも、その行動によって本人が何を感じ、暮らしにどのような変化が生まれるのかということです。
第三章 散歩するために出かけ、その散歩をSNSに投稿する
今回の流行で、私が特に面白いと思ったことがあります。
スマホ疲れを解消するために散歩をする。
自然の中へ出かけ、景色を眺める。
ところが、その様子を撮影して、またSNSに投稿するのです。
なんとも現代らしい話ではありませんか(笑)
実際、SHIBUYA109 lab.の報告では、山手線を一周するウォーキングの様子をショート動画で共有する活動なども紹介されています。
もちろん、思い出を記録し、友人と楽しさを共有することは素晴らしいことです。
私自身、巡礼先で見た風景や感じたことを、人に伝えることがあります。
しかし、ここで考えてみたいことがあります。
美しい景色を見たとき、私たちは何をしているでしょうか。
まず、その景色を自分の目で十分に味わっているでしょうか。
それとも、写真に収めることや、誰かに見せることを先に考えているでしょうか。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、自分の心が動いたから記録するのか、誰かの反応を得るために行動するのかでは、その体験の意味が変わってきます。
誰かに見せるための人生と、自分自身で味わう人生は、必ずしも同じではありません。
SNSに投稿しなければ価値がないわけでも、誰にも知られない体験に意味がないわけでもありません。
むしろ、人に見せる必要のない時間の中にこそ、自分自身と向き合う機会があるのではないでしょうか。
第四章 便利になるほど、人間が使わなくなる能力
ここで少し、人間の暮らしを振り返ってみましょう。
かつて人は、日々の生活の中で多くの感覚を働かせていました。
空の色や雲の動きから天候を考え、風の変化を肌で感じ、季節の移ろいを草木の姿から知る。
食物を育てるにも、山を歩くにも、海を渡るにも、人間自身の観察力や判断力が重要でした。
もちろん、昔の暮らしは決して楽なものではありません。
自然災害や病気、食糧不足など、現代より厳しい条件も数多くありました。
私は昔の暮らしがすべて優れていたと言いたいのではありません。
現代の技術や医療の発展によって救われてきた命も、数え切れないほどあります。
ただ、便利さが増したことで、自らの感覚を働かせる機会が変化したことは確かでしょう。
道を覚えなくても案内してもらえる。
計算しなくても答えが出る。
文章を考えなくても、文章を作ってもらえる。
そして今では、自分で考える前にAIに答えを求めることさえできます。
AIも使い方次第では、自分の考えを深める優れた道具になります。
しかし、答えを得ることと、自分で理解することは違います。
知識を持つことと、洞察することも同じではありません。
五感を通して感じ、経験を重ね、考え、自ら判断する。
その積み重ねの中で培われる力があります。
便利な道具が人間の能力を助けることと、人間が自らの能力を使わなくなることは、まったく別の問題なのです。
第五章 日本人が古くから大切にしてきた「整える」という感覚
私は古神道を修道する中で、自然と人間との関わりについて、長く考えてきました。
日本には、山や川、海や森、岩や樹木など、自然のさまざまなものに神聖さを見いだしてきた信仰文化があります。
神社の鎮守の森に入ったとき、空気が変わったように感じることがあります。
木々の間を通る風。
鳥のさえずり。
水が流れる音。
土や草木の香り。
そうしたものに意識を向けると、普段は気づかなかった感覚が働き始めることがあります。
神道には、祓いや禊、鎮魂といった伝統があります。
これらは本来、神々への信仰や祭祀に関わるものであり、現代のリラクゼーションと同じものではありません。
しかし、人間が自らの状態を見つめ、心身を整えることを大切にしてきた精神文化として、現代にも考えるべきところがあります。
私が全国各地を巡礼する中でも、自然と向き合うことの大切さを幾度となく感じてきました。
山に登り、海辺に立ち、歴史の残る土地を訪ねる。
その土地の風を感じ、静かに祈り、そこに生きた人々へ思いを巡らせる。
そうした時間には、画面の中から得る情報とは異なる深さがあります。
そこで感じるものを、すべて科学的に説明できるわけではありません。
だからこそ私は、霊的な意味と、身体的・心理的な働きを混同せずに考えることも大切だと思っています。
自然を敬い、自らを省みる。
その姿勢には、現代の私たちが改めて学べるものがあるのではないでしょうか。
第六章 科学から見ても興味深い変化
2025年、学術誌『PNAS Nexus』に、スマートフォンのモバイルインターネット接続を制限する実験研究が発表されました。
この研究では、参加者のスマートフォンからのモバイルインターネット利用を2週間制限したところ、主観的幸福感やメンタルヘルス、持続的注意力に改善が認められました。
また、参加者は人と直接交流したり、身体を動かしたり、自然の中で過ごしたりする時間が増えていました。
もちろん、一つの研究結果だけですべての人に同じ効果があるとは言えません。
また、スマートフォンを手放すことだけが、心身を整える方法でもありません。
しかし、この研究は興味深いことを示唆しています。
私たちは、常に情報につながっている必要があると思い込んでいるのかもしれません。
そして、情報から少し離れることで、別の活動に使える時間や注意力を取り戻せる可能性があります。
ここで私が注目したいのは、単にスマホを使う時間が減ったということではありません。
スマホを使わなくなった時間に、人間が何を始めたのか。
人と話し、身体を動かし、自然に触れる。
そこに現代人が求めているものを考える手掛かりがあるように思います。
第七章 自分自身を整える力を取り戻す
私が主宰する倭呼吸塾では、人間が本来持っている感覚を大切にしています。
初級では五感の覚醒を重視し、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を通して、自分自身の感覚に意識を向けていきます。
これは、特殊な能力を持った人だけができることではありません。
私たちは普段から、さまざまなものを見て、聞いて、感じながら生きています。
しかし、見えていても十分に観察していないことがあります。
音が聞こえていても、その響きに耳を澄ませていないことがあります。
呼吸をしていても、自分がどのように息をしているのか意識していないことがあります。
そこで、一度立ち止まってみる。
呼吸に意識を向ける。
風の音を聞いてみる。
目の前の景色を、ただ眺めてみる。
こうした小さな行動から、自分の感覚と向き合うことができます。
私は、何でも神秘的な力として説明する必要はないと思っています。
大切なのは、自分自身で感じ、考え、判断することです。
誰かに整えてもらわなければ生きられないのではなく、自分で自分の状態に気づき、整える方法を身につけていく。
これは、私が倭呼吸を通じて伝えていきたいことの一つです。
第八章 現代に必要なのは、不便な生活に戻ることではない
ここで誤解していただきたくないことがあります。
私は、昔の生活に戻るべきだと言っているのではありません。
車も電車も、インターネットもAIも、人類が築いてきた素晴らしい技術です。
それらを捨てる必要などありません。
ただ、便利なものに囲まれていても、自分で感じ、自分で考え、自分で選ぶことはできるはずです。
便利な道具を使うことと、それに依存することは違います。
人間には、自らの行動を選び、時には欲求を抑える自制心も必要です。
そして興味深いことに、今の若い世代は、自分たちなりの方法でその問題に気づき始めているように見えます。
スマホを使いながらも、スマホから離れる時間をつくる。
都会で暮らしながらも、自然の中へ出かける。
情報を楽しみながらも、静かな時間を大切にする。
これを単なる流行として片づけるのは、もったいないことだと思います。
むしろ、現代の若者が生活の中で感じた違和感から、自分たちに必要なものを探し始めている。
そう捉えると、私は非常に前向きな変化だと感じます。
ただし、その活動さえ他人からの評価を得るための義務になってしまえば、また別の疲れを生み出すかもしれません。
何かをしなければならないという思いから離れ、何もしない時間も楽しめる。
そんな心の余裕を持つことも、大切なのではないでしょうか。
結び――古いものが新しくなったのではない
人間は、便利な世界をつくり上げてきました。
遠くに行けるようになり、世界中の人と話せるようになり、膨大な知識を手に入れられるようになりました。
それは間違いなく、人類の大きな進歩です。
しかし、その一方で、私たちは一つのことを考え続ける時間や、自分の感覚に向き合う時間を、十分に持てなくなってはいないでしょうか。
そして今、若い世代の間で、散歩や読書、自然との触れ合いが改めて注目されています。
昔なら、わざわざ名前をつける必要もなかった行動です。
それが今、「セロ活」という新しい言葉で語られるようになった。
なんとも面白い時代ですね(笑)
しかし私は、この流れを単なる懐古趣味とは考えていません。
便利さを知った人間が、その便利さを活用しながら、自分自身の感覚や時間を取り戻そうとしている。
そこには、過去へ戻るのではなく、これからの生き方を選び直す可能性があります。
そして、私たちは改めて問い直すことになるのでしょう。
本当の豊かさとは何なのか。
便利であることと、幸せであることは同じなのか。
自分の人生を、自分自身で味わえているのか。
私は、そんな問いを持つこと自体に意味があると思っています。
古いものが新しくなったのではありません。
人間が、昔からそこにあった価値に、もう一度気づき始めたのです。
便利さの先に待っていたのは、さらに特別な何かではなく、ごく当たり前の人間らしい時間だった。
そう考えると、これからの時代もなかなか面白くなりそうですね。
著 河瀬昌良
古神道家・倭呼吸塾 塾長
古神道の修道と全国各地での巡礼・鎮魂活動を続けながら、呼吸と五感を通じて人間本来の感覚を見つめ直す倭呼吸を指導。歴史・精神文化・人間の生き方について考察と執筆を行っている。
主な参考資料
- SHIBUYA109 lab.「2026年上半期のトレンドと下半期注目キーワード」(2026年9月9日)
- SHIBUYA109 lab.「Z世代のアテンション・デトックスに関する調査」(2026年3月12日)
- Noah Castelo ほか「Blocking mobile internet on smartphones improves sustained attention, mental health, and subjective well-being」PNAS Nexus(2025年)
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「セロトニン」
- 國學院大學「お祓いと神道」
※本記事には、公開調査・学術研究に基づく記述と、著者自身の思想・経験に基づく考察を含みます。
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