― 父への反発を越え、一周まわって戻ってきた祈り ―
私の鎮魂の原点は、幼い頃の父との記憶にあります。
四、五歳の頃だったと思います。
父と一緒に、戦国時代のドラマを見ていました。
画面の中では、戦に敗れた人々が、互いに助け合いながら必死に逃げていました。
幼い私は、その場面を見ながら、ふと口にしました。
「こんなの嘘やん?」
父は私に聞きました。
「なんでそう思ったんや?」
私は答えました。
「人は逃げる時は、人を踏みつけてでも我先に逃げよる」
すると父は、きっぱりと言いました。
「人は苦境になれば、助け合うことが当たり前のことや」
その言葉を聞いた時、幼い私は救われたような気持ちになりました。
人は、自分だけ助かろうとするものだ。
追い詰められれば、人を踏みつけてでも逃げるものだ。
そんなふうに思っていた幼い心に、父の言葉はまっすぐに入りました。
今思えば、これが私にとって、初めての鎮魂だったのかもしれません。
人を信じる心を、父に鎮め直してもらった瞬間でした。
父は、祈祷師で鎮魂をする人でした。
父が祈ると、空に大風が舞うように感じることがありました。
私は子供ながらに、彷徨う御霊が集まってきているのだと直感しました。
人にも、こんなことができるのか。
亡くなった御霊に光を向け、迷いを鎮めることができるのか。
その姿を見て、私は父をすごい人だと思いました。
同時に、私自身もどこか救い出してもらったように感じていました。
父は、よく言っていました。
「ボロを纏っても、心は錦」
家は決して裕福ではありませんでした。
だからこそ、その言葉は今もよく覚えています。
どのような姿であっても、心まで貧しくなるな。
人としての誇りを失うな。
父は、そう伝えていたのだと思います。
父はまた、空を見上げるようにして言いました。
「空は、何を言っても受け入れてくれる」
その一方で、父の言葉は厳しいものでもありました。
「世の役に立たない者は製糞機や。肥料にしかならん」
今の時代なら、かなり強い言葉に聞こえるかもしれません。
けれど父は、人は世の中の役に立ってこそ生きる意味があるのだと、本気で教えていたのだと思います。
しかし、十歳頃になると、私の心は変わっていきました。
父は
神事ばかりしている。
人のため、御霊のため、土地のために祈っている。
幼い私には、それが理解できませんでした。
今なら分かります。
それは、ただ神事をしていたのではなく、父なりの慈しみだったのだと。
あれだけ楽しかった鎮魂が、いつしか「父を神様に取られている」と感じるようになりました。
寂しさと未熟さから、私は父を嫌いになり
神様まで嫌いになりました。
心の中で、ひどいことを思ったこともあります。
父など、いなくなってしまえばいい。
神様など、嫌いだ。
けれど、その後、私は大変なことを思ってしまったと怖くなりました。
当時の私は、なぜか自分は百三十歳まで生きると思っていました。
父には持病がありました。
私は初めて、神様に本気で祈りました。
「私の寿命を十年、父に分けてください」
それが、私にとって初めての祈りだったのかもしれません。
それから約十年後、父は他界しました。
もちろん、それが何かの因果だとは思っていません。
けれど、当時の私はいろいろなことを思いました。
神様を嫌いになった自分。
父にひどいことを思った自分。
それでも、父に生きていてほしいと願った自分。
怒りも、後悔も、祈りも、すべて父に向いていました。
十九歳の時、些細なことから父と喧嘩になりました。
そして、そのまま父は倒れ、亡くなってしまいました。
その後、兄弟からも散々言われました。
私自身も、自分を責めました。
そこから私は、仕事に没頭しました。
何かを形にしなければならない。
立ち止まれば、後悔や苦しみに飲まれてしまう。
そうして馬車馬のごとく働き続け、ある程度の形は作りました。
けれど、心の奥にあるものは消えませんでした。
やがて、強いストレスと人間不信から、私は大円形脱毛になりました。
二〇一五年には、死を意識するほど追い詰められていました。
その翌年、二〇一六年。
私は口伝呼吸法と出会い修道し皆伝しました。
その半年の学びは、子供が生まれた時ほど楽しい時間でした。
心が再び息を吹き返していくようでした。
どれほど心が死にかけ、ボロボロになっても、
人間は自ら、灯りをとり戻す強さが備わっている。
そこで私は、理を知り、自神を知りました。
そして、御言を受けました。
「地を鎮めよ」
そこから、地震分散祈念が始まり
私は全国を巡るようになりました。
被災地、古戦場、戦没地、空襲地。
歴史に飲まれ、忘れられ、置き去りにされた御霊に光を向けるため、各地を歩きました。
その巡礼地は、全国五百ヶ所を超えました。
鹿島、香取の地鎮。
戸隠神社。
走水神社。
瀬田川。
関ヶ原。
開聞岳。
奄美。
沖縄。
それぞれの地に、それぞれの記憶がありました。
名ある者の想いも、名なき者の想いもありました。
私がしていることは、過去を掘り返すことではありません。
恐れを煽ることでもありません。
忘れられた御霊に光を当てること。
土地に残る想いを鎮めること。
そして、今を生きる人が、自分の生き方を取り戻すこと。
それが、私にとっての鎮魂巡礼です。
全国巡礼を始めた頃、父とのわだかまりがほどける夢を見ました。
それ以来、私は少しずつ理解するようになりました。
当時、私は父に反発し、神様を嫌いになったつもりでいました。
けれど本当は、父と一緒に鎮魂していた頃が楽しかったのです。
一周まわって、私はあの頃の場所へ戻ってきたのだと思います。
今の私は、先祖代々、(父の)徳を継承し、父と共に歩いている感覚があります。
二〇一九年には、「表に出よ」という御言を受けました。
そこから普及活動と、二〇二五年八月より執筆を始め、今に至ります。
私が読者の皆様に伝えたいことは、とても単純です。
惑わされずに、自分の生き方で、大切な人と楽しく生きてほしい。
誰かの言葉に振り回されるのではなく、
恐れに飲まれるのでもなく、
自分の内にある光を思い出し、大切な人と日々を生きてほしい。
私は、鎮魂することが生き甲斐になっています。
大きなことを言うつもりはありません。
ただ、神界の末端に身を置く者として、できることを繰り返していく。
父から受け継いだ祈りを胸に、
忘れられた御霊に光を当て、土地を鎮め、人と神と御霊を結び直す。
今を生きる人が、自分の生き方をとり戻すこと。
それが、私の鎮魂巡礼です。
そして、これからも歩き続ける私の道です。
倭呼吸塾 河瀬昌良


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